2007年

ーーー5/1ーーー 四方ころびの器

 この器は、「四方ころび四方留め」という構造である。四方ころびとは、四枚の側板が、それぞれ外側に傾いている(ころんでいる)という意味、四方留めとは四隅が上から見て45度のラインで合わさっているということ。この構造、見た目にすっきりとしているが、作るのは少々難しい。材はクリ。上端に回した線象眼はシュリザクラ。

 四方ころびという概念は、和風建築の世界では、必ずマスターしなければならないものらしい。お寺の鐘楼は、四本の足が少し外側に開いて立っている。これも四方ころびである。住宅の屋根にも、四方ころびの技術が使われているものがある。四方ころびの木組みの寸法を正確に割り出すことが、大工の腕の見せ所だそうである。

 この器の作るのに、何が難しいのかと言うと、板と板を接合する面の角度を決めるのが厄介なのである。紙のように、ほとんど厚みが無い素材で作るなら簡単だ。それに対して、板は厚みがあるので、接合面の角度が少しでも違うと、隙間が開いてしまって組み立てられない。

 私は接合面の角度を、三角関数の計算で求めた。算出した角度で板を切断して組み立てると、自動的にこのような形になる。角度どおり正確に切るのは、丸ノコ盤に治具を使えば、かなりの精度で実行できる。組み立てるときにどのようにして締め付けるかという問題はあるが、それも適切な治具を作れば解決される。

 大工は規矩術(きくじゅつ)を使って、このような構造の計算をするらしい。規矩術とは、さし金を使って部材接合部の寸法や勾配を割り出す技術のことを言う。実際どのようにして計算をするのか、興味が湧いた。図書館へ出掛けて、さし金の参考書を調べてみた。

 この「四方ころび四方留め」は、別名「漏斗形」と呼ばれているようだ。参考書にそのような項目があった。計算方法の解説を読んでみたが、何のことやらさっぱり分からなかった。分かり易く書いてないという気もしたが、規矩術の世界の、奥の深さと難しさを垣間見た気がした。

 規矩術では、分度器で示されるような角度は使わないようである。45度は1寸行って1寸上がる、60度は1寸行って1.732寸上がるというふうに、寸法で示すのである。当然、サイン、コサインなどという三角関数は使わない。寸法だけで様々な勾配や角度、それも三次元に展開するものを表現してしまうのである。恐るべき伝統の技だと思った。

 ちなみにこの漏斗形、側板は垂直から外側へ15度傾いている。それを実現するための切断角度を、私は空間幾何学の手法で計算した。組み立てる前の側板を水平面上に置いて、上から見たときの上隅の角度は75.49度、接合面が水平面となす角度は46.79度である。      



ーーー5/8ーーー 初花

 我が家の庭には、桜の樹が数本植えてある。ほとんどは、近くの林の中に生えていた幼木を移植したものだ。いずれも山桜。そのうちの一本は、4〜5年前に植えたものだが、当時膝くらいまでの丈だったのが、今では3メートルほどの高さになった。

 その桜が、今年になって初めて花を付けた。ほんの数個である。良く見なければ、「今年も花が咲かなかったな」と見過ごすところであった。

 それよりも前に植えた桜も、やはり4年くらい経ってから初めて花を付けた。樹木も動物と同じで、生まれてからある程度の年月を経ないと、繁殖機能が現れないようである。

 もっとも、種や球根から育って、一シーズンのうちに花が咲く植物もたくさんあるわけだから、植物の世界は不思議な多様性に満ちている。

 ともあれ、この桜もようやくお年ごろ、文字通り色気が出てきたというわけだ。来年以降はたくさんの花を咲かせて、楽しませてくれるだろう。

 この変化は、この樹の一生のうち、今年が最初で最後となる。そう思うと、まるで恥ずかし気にという感じで、ちんまりと咲いた一つまみの花は、ことさら初々しく、愛らしく感じられた。



ーーー5/15ーーー 爺ヶ岳敗退

 先週の金曜日に、北アルプスの爺ヶ岳に登った。夏は何度も登った山だが、残雪期は初めての挑戦である。

 登山関係のブログで、GW前後のこの山の登山記事を読んだ。そこで初めて、この時期は夏の登山道の途中から尾根に上がり、山頂まで直上するルートが使われることを知った。これはおもしろそうだと思い、行くことにした。

 天気が良い日をねらうのはもちろんだが、なるべく雪が多いうちに登りたい。残雪期に使われるルートは、雪を利用して登ることが前提になっているからだ。雪が無くなると、薮が出たりして困難になる。

 前日は前線を伴った低気圧が上空を通過して、雷雨の天気だった。その低気圧が東に去り、当日は移動性高気圧に覆われる予想だった。前日の大雨と低い気温で、山の状態は良くないかも知れないと思った。しかし、日にちが経つと、急激に雪が融けてしまうから、思い切って実行することにした。そこに若干の焦りがあったようにも思う。

 登山口に着いたのが7時半。もの凄い強風が吹いていた。車が揺れるほどであった。自宅を出るときには風など感じなかったので、これは驚きであった。山の上の方は、残雪の上に昨日降ったと思われる新雪が重なり、真っ白になっている。白い斜面と白い雲との境が分からなくなっている高みから、ゴーゴーと風が吹き降りて来る。

 この状態では、登頂は不可能である。そのまま帰ろうかと思った。しかし、天気は確実に快方に向かっているはずだから、登っているうちに風は治まるかも知れない。樹林帯を登っている間は、あまり風の影響は受けない。樹林帯を抜けるまでに風が無くなれば、登頂の可能性もあると、虫の良いことを考えた。結局登ることにした。

 夏道を30分ほど登ると立て札があった。夏道は尾根の西側を巻いて稜線に至る。立て札には、夏道は雪のため閉鎖されているから、尾根に取り付いて登るようにとの指示が書かれていた。

 ところが、尾根に取り付くのが簡単ではなかった。雪が多ければ、雪の上を登っていけるのだが、雪が融けかかっていて地面が出ているので、急な斜面を登れない。おまけに新雪がうっすらと地面を覆っているので、不安定であった。登れる場所を探して、うろうろした。もう無理だから、帰ろうかとも思った。近頃は道の無い山を登ることから遠ざかっているので、すっかり弱気になっている自分を感じた。

 ようやくある場所で尾根に取り付くことができた。尾根上に上がるまでに、1時間近くを費やした。

 尾根の上も、けっこう難渋した。明瞭な尾根であり、ところどころ赤布(木の枝に結びつけられた目印の赤い布)があるので、迷う心配は少ない。しかし、新雪が積もっていて、トレース(雪の上の先行者の足跡)が消えているので、ルート取りに神経を使う。また、所によっては膝まで新雪にもぐる。そしてカチカチに凍った雪面もある。心身ともに消耗した。

 標高2200メートル地点あたりの尾根上で昼食をとった。相変わらず風が強く、寒い。防寒着を着込んだ。雪で濡れた毛糸の手袋が、昼食を食べている間に凍ってしまった。手を入れると、じきに感覚が無くなった。このままでは凍傷になってしまうと感じた。ぽかぽか陽気の5月の山をイメージして、オーバー手袋を持参しなかったのがいけなかった。森林限界までは登りたかったのだが、諦めて下山することにした。

 下り始めてしばらくすると、5人づれの若者のパーティーが登って来た。風が強いので下山するのだと話したら、「お気を付けて」と言われた。彼らは幕営装備を持参しているような荷姿だった。そのパーティーのトレースのおかげで、下りはラクだった。

 少し標高を下げただけで、寒さは和らいだ。防寒具を脱いだ。手の感覚も戻ってきた。ようやく一息ついた。空は晴れとなり、朝は雲の中だった稜線も、はっきりと見えるようになっていた。

 登山口に戻り、軽トラに荷物を積んで自宅へ向かった。道すがら、新緑の林が陽の光にきらめくように美しかった。

 夜のニュースを見たら、東京で25メートルを超える強風が吹いたとのこと。太平洋に抜けた低気圧が発達し、大陸から冷たい風が吹き込んで強風となったらしい。春先にはよくあるパターンだが、5月にこのようなことになるとは、予想がつかなかった。天気の読みが甘かったことを、反省しなければならない。

 (画像は下山途中に見えた稜線、針ノ木岳方面) 


















ーーー5/22ーーー 切り傷の手当て

 先日、作業中に鋸で指を切った。小さな傷だが、目の粗い回し引きノコで切ったので、傷口がガリッと削り取られたようになって、痛かった。

 木工作業中には、いろいろな怪我をする。指に棘を指したり、目に木屑が入ったりという軽いものもあるし、本格的に血を見ることもある。

 電動工具の回転している刃に触れて怪我をすると、大事になるが、幸いなことにそのような経験は一度も無い。ちなみに、回転刃による怪我は、運転中もさることながら、スイッチを切った後、回転が停まるまでの間に手が触れて切ってしまうことも多い。それを惰力回転中の事故と言う。スイッチを切ったことで、気が緩むために起こるのか、それとも次の作業へ気が移るために不注意が生じるのか。

 私の場合、切り傷はナイフやノミの刃で切ることが多い。そういう刃物は、スパっと切れるので、適切に対処すれば傷口が綺麗に塞がる。刃物の切れ味が良い方が、傷は治り易い。それに対して、鋸のように刃がギザギザしたものは、傷口が荒れるので治りにくい。

 刃物で手を切ってしまったときの対処は、まずティッシュペーパーか布で傷口を押さえる。いわゆる圧迫止血という処置。そして傷口の部位を、なるべく心臓より高い位置にする。できれば体を横たえて安静にし、怪我をしたところだけを高く保つ。これを30分ほど続ける。そうすると、小さな切り傷ならピタリと付く。そうした対処が功を奏した場合、完治したときに傷跡はほとんど分からなくなる。

 以前かなり大きく切ってしまい、外科医で縫ってもらおうとしたことがあった。上に述べたような対処をしながら、家内に運転をさせて医者へ行った。医者に見せたのは、事後が起きてから数十分後。傷口は既に塞がっていて、縫う必要が無いと言われた。よほど刃物の切れ味が良かったのだろうか。

 初期の対処を適切に行い、少しの時間は惜しまずに安静にすることで、驚くほど早く傷は回復する。今回は鋸による傷でちょっと厄介だったが、数日経って経過は良好のようだ。ただ、若干の傷跡は、残るかも知れない。
 


ーーー5/29ーーー 変な夢

 母と叔母が、飛行機を使った旅に出た。それを空港まで見送りに行った。二人がゲートの向こう側へ行ってしまってから、母の荷物を私がまだ手に持っていることに気が付いた。母の姿はもう見えないが、叔母はまだゲートの近くにいる。呼び寄せて事情を告げたら、母はすぐそこにいるはずだから、連れて来ると言って、いったん視界から消えた。しばらくして叔母は戻って来たが、連れてきたのは見た事も無い老婦人だった。

 夢というものは、いつでも多少の不可解さ、デタラメさを伴うものだが、この夢はそれを通り越して、不気味ですらあった。

 ちなみに現実の母は、この春東京の病院で膝の手術を受けた。その入院のため、1月の末にこの地を離れてから、東京に行ったきりとなっている。



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